イサム・ノグチ庭園美術館への旅
旅人/鈴木理・史子
しまなみ海道を快走し、彫刻が待つ牟礼の地へ。
見学希望日の10日前までに、往復はがきで予約の申し込み手続きをする。このソーシャルネットワーク化の時代に、なんとアナログな…。イサム・ノグチ庭園美術館の旅へは、ちょっとした驚きとともにスタートしました。
四国では桜もそろそろ終わりに近づいた4月20日、午後の便で札幌新千歳空港を飛び立ち、夕方に松山空港へ到着。庭園美術館のある香川・高松ではなく、反対側の愛媛から入ったのは、利用した航空会社の直行便が唯一、この路線だからでした。
その日は、道後温泉に泊まり、翌朝レンタカーで高松へ。
せっかくのドライブだもの、しまなみ海道を駆け抜けたい!ということで、今治から瀬戸内海の島々をまたぎ、広島県尾道、岡山県倉敷、瀬戸大橋をまるごと体感して、再び四国香川の地へ。道中、今治で名産のタオルを大量に買い込み、瀬戸大橋のたもとで東山魁夷画伯を堪能し、讃岐うどんもしっかりハシゴ。牟礼のイサム・ノグチ庭園美術館へ着いたのは、見学予約時間の午後3時ギリギリでした。
事前に電話を入れておくと、場所が分かりにくいからと、庭園美術館手前の曲がり角でスタッフの益田さんと池田さんがお出迎え。申し訳ないやら、ありがたいやら。
いつもなら15人の定員をひとまとめに案内されるとのことですが、この日の見学者は私たち夫婦のみ。やはり東日本大震災の影響で予約のキャンセルが相次いだそうで、この時期多いという外国人の姿も見えません。日本中が悲しみに呑まれ、喪に服しているかのような状況は、ここでも例外ではなかったのです。
イサムさんが亡くなる1ヵ月前まで制作に励んだという牟礼のアトリエは、いたって静かであり、のどかでした。桜の木は花びらを散らしながら甘い香りをふりまき、ウグイスの澄んだ声が山に響き渡ります。北国からの旅人は爛漫の春に包まれ、それだけで心が浮き立つ気分。寒くもなく暑くもなく、日もそこそこに長く、4月の四国はなかなかにいいものです。
場所に生かされて、より精彩を放つ彫刻作品。
「地形のエネルギーを借りて」。石に向かうイサムさんは、よく口にしたといいます。
「彫刻そのものよりも、空間そのものに興味がある」のだとも。この場所を訪れると、そのことが実感として伝わってくるようです。
庵治石の壁に囲まれたサークル状の屋外展示スペースと白壁の展示蔵、大地と一体になった彫刻庭園、実際に暮らしたイサム家などからなる庭園美術館は、背後に小高い山を従え、正面には屋島の町並みを望む胸のすくような景観。360度、ぐるりと景色が連続し、まさに周囲のエネルギーが注ぎ込まれるかのような形状です。
そんな環境のもと、天気のいい日はほとんど野外で作品づくりに励んだというイサムさん。聞こえるのは、石を削る音と自然のざわめきのみ。このアトリエで過ごした20年余りは、世界で活躍した彫刻家にとって、心やすらぐ時間だったのではないかと想像します。
ここで出会えるのは、数々の彫刻作品だけでなく、この地に住み生きたイサム・ノグチそのものなのです。
展示されている作品は150点ほどで、大きなもので人の背丈ほど。多くは肩から腰ぐらいの高さの縦に長い彫刻で、どこか親しみを覚えます。
つるりと丹念に磨かれたものもあれば、切り出したままの状態に近いと思われる朴訥なもの、鋭利な造形に意志めいたものを感じさせる作品まで、表情はさまざま。
ざらざらした土に置かれたこれらの作品群は、枯山水の庭のようでもあり、蔵の前の広場に集う村人たちの姿のようでもあり。季節や時間、見る人の心情によって、いかようにも捉えることができるのが庭園美術館の楽しさだと思います。
辺りの自然といっしょに、彫刻の放つ存在感やパワーを体感する。難しい解釈などおかまいなしに、いまここにある気持ちのいい空気を味わってこその醍醐味です。
園内にあるふたつの蔵のうち、展示スペースに使われている大きな蔵は、明治時代の酒蔵を移築した豪壮な日本建築。無骨な土の壁に、床にはおもてと同じ土が敷かれ、広大な空間を支えるいくつもの太い柱は森の木立ちのよう。
なつかしい記憶を秘めた外とも内ともつかぬ空間に、代表作「エナジー・ヴォイド」が、そこにあるべくしてあるといった風情で、しっかりと存在していたのが印象的でした。
入り口から差す自然の光に照らされて、黒色花崗岩の大作は生気を帯び、威風堂々と輝いています。それは、いつか美術館で見た高貴なアート作品ではなく、人の暮らしのそばで呼吸する魂のこもった彫刻でした。
場所に生かされて、作品が完成する。生前、イサムさんが語っていた土地や空間へのこだわりは、まさにそこへ帰結するのでしょう。
実際の住居として使われていたイサム家も、江戸時代の日本家屋を移築したもので、なんとも味わいのある屋敷です。たくましい柱と梁が交差する重厚な空間に、繊細な障子がぬくもりをプラス。一方で、窓や玄関にガラスはなく、南国四国とはいえ、季節によってはかなり寒かったようです。
今でこそ古民家が見直されていますが、1960年代後半、日本が経済成長へ向かわんとするその時代に、好んでこうした住まいを選んだのは、日本とアメリカの両国に生き、伝統と新しさ、日本と西洋の融合を常に意識したイサムさんならではの感性なのでしょう。
光の彫刻といわれる照明器具「あかり」も、こうしたバックボーンなしには生まれなかったに違いありません。
現代アートの島から、イサム・ノグチを思う。
庭園美術館を後にした私たちは、その足で高松港へ向かい、ベネッセが多彩なアートプロジェクトを展開する直島へ渡りました。
なんとなく、凡人に現代アートはとっつきにくいものと決めつけていたのですが、そんな先入観など一気に吹き飛ばされるほど、ここでの体験も忘れ難いものとなりました。
切妻の瓦屋根に焼杉板の民家が続く古い町並み。日本の原風景をそのままに、姿を変えずにきた小さな島で繰り広げられるアートの数々。
作家の名前を知らなくとも、作品の本質を理解しているといえなくても、気持ちから先にすっと入ってゆけるのです。都市にある美術館では、おそらくこうはいかないでしょう。
感じる力を増幅させているのは、直島という場所のなせるわざであることは、すぐにわかりました。これと同じ感覚を、私たちはすでに牟礼で経験していたのですから。
もし、イサム・ノグチ庭園美術館を訪れるなら、ピンポイントでそこだけを見るのでなく、できれば、そのまわりの四国もいっしょに周遊することをおすすめします。
イサムさんが広い世界のなかから、なぜ牟礼という土地を愛し、彫刻制作の場に選んだのか、ちょっとだけその心境に近づけるような気がします。
彫刻庭園と一体になった築山の頂上にある石の中で、イサムさんが眠っていると知らされたときは、少しびっくりしましたが、ときが来たらその石のなかに入りたいと、ご本人が遺言を残されていたとのこと。
尊敬と畏れの入り交じった気持ちで、まるくあたたかい石を両腕のなかに抱いてみると、かすかに鼓動のようなものが感じられたのです。揺れた!と、とっさに声に出すと、そばにいた夫や池田さんに笑われてしまいました。が、この場所を訪れ未来へ伝えゆく人たちに、イサムさんが静かに語りかけているのだ、とも思えなくもありません。
日本でイサム・ノグチの彫刻が庭の状態で残されているのは、牟礼とモエレ沼公園だけであり、それはとても意味のあることなのだと。池田さんや和泉さんスタッフの方たちは、これからも大切に守っていかなければと、しみじみとお話されていました。
旅を終えたいま、あの往復はがきのナゾも解けました。ていねいに手続きをふみ、わざわざそこへ出かける日を楽しみに待つ。そんな心のゆとりとともに訪れるのが、ふさわしい場所なのだ。そう考えると、あたりまえのように腑に落ちるのです。
最後に、このすばらしい旅をプレゼントしてくださったモエレファンクラブの皆さま、心から感謝いたします。ほんとうに、ほんとうに、ありがとうございます!
(文/鈴木史子様)